Single 「シングル」と家族/縁(えにし)の人類学的研究

2011年度第2回研究会

2011年度第2回研究会
日時:2011年7月23日(土)13:30-19:00  場所:本郷サテライト5階
小池郁子(AA研共同研究員,京都大学)
「オリシャ崇拝による縁の形成―アフリカ系アメリカ人の社会宗教運動と「シングル」」
新ヶ江章友(AA研共同研究員,名古屋市立大)
「男性同性間の性関係からパートナーシップへ―クィア家族を再考する―」


<発表要旨>


人種と性が交錯する「家族」
―アフリカ系アメリカ人のオリシャ崇拝運動が紡ぐ縁―
小池郁子 
京都大学

 本発表の目的は、アメリカ合衆国の正常(健全)な家族像から逸脱しているとされてきたアフリカ系アメリカ人の家族、とりわけ社会的病理として捉えられてきたアフリカ系アメリカ人男女の「シングル」に注目し、そこで人種と性がいかに交錯しているのかを検討することである。具体的には、アフリカ系アメリカ人の家族にまつわる事象の何が問題とされてきたのかを述べ、そうした問題化と米国が正常として提示する家族像との関わりを明らかにする。そのうえで、オリシャ崇拝運動にみられる宗教的疑似家族(イレile)や、家族に関する価値観、性役割、性規範などを取り上げ、それらとアフリカ系アメリカ人の家族問題との関連性について考える。
 なお、本発表で着目するオリシャ崇拝運動は、アフリカ系アメリカ人の男性、オセイジェマン・アデフンミ一世(1928-2005)によって結成された。この運動は、1950年代、60年代前半、公民権運動の潮流が高まるなか誕生したアフリカ系アメリカ人の社会運動の一つとして位置づけられる。運動の拠点は、米国南部にある「アフリカン・オヨトゥンジ・ビレッジ」である。オヨトゥンジ村は、アフリカ系アメリカ人がオリシャと呼ばれるヨルバの神々を崇拝し、ヨルバの伝統的な生活様式を再現しようとした一種のコミューン(生活実践共同体)である。
 アフリカ系アメリカ人の家族は、経済学、社会学、歴史学、都市人類学、心理学をはじめ、様々な領域において分析されてきたが、そうした分析にはある種の共通点をみいだすことができよう。その共通点とは、アフリカ系アメリカ人の家族を性の逸脱や男性不在の家族という視点から問題化、あるいは説明してきたということである[cf. ブラッドリー 2010(2008)、リーボウ 2001]。そこでは、アフリカ系アメリカ人男性は白人女性の純潔を守るため、白人の監視下におかれるべき野蛮な存在として位置づけられている。一方、アフリカ系アメリカ人女性は、男性を精神・聖、女性を肉体・汚れとみなす米国の価値観のもとで、貞淑な白人女性とは異なり、白人男性を誘惑する淫らな女性というように、二重の負のラベルを課されている[cf. アンチオープ 2001、古谷 2001、萩原 2002]。また、男性不在の家族スタイルは、アフリカ系アメリカ人男性の高い収監率によるものであり、アフリカ系アメリカ人男性が社会、つまり家族、学校、労働、地域社会から孤立する生活環境を再生産していると分析されてきた。よって、男性不在の家族は、女性を世帯主とする家族に顕著な福祉依存、すなわちアフリカ系アメリカ人の家族に特徴的とされる「家母長制」の原因としても説明されてきた。ただし、本発表で注目しておきたいのは、現代米国においていまだ正常な家族像として提示される「(白人の)伝統的家族」は、奴隷制度から生じた人種的、性的、社会経済的な環境なしには成立しえなかったということである。
 こうした家族の「問題」にたいして、アフリカ系アメリカ人の社会運動はどのように対処してきたのか。アフリカ系アメリカ人の社会運動や社会文化活動〈全国黒人実業連盟NNBL、公民権運動、ブラック・モスレム(ネイション・オブ・イスラム)、ブラック・パワー運動、クワンザーアKwanzaa〉にみられる対処法は、「モイニハン・レポート」(1965)と通底する部分が多い。これは、端的に言えば、アフリカ系アメリカ人の家族にまつわる問題を解決するには、家父長制にもとづいた家族を形成する必要があり、そのためにはアフリカ系アメリカ人男性の「男らしさ」を醸成しなければならない、というものである。しかしながら、公民権運動以降、おもにアフリカ系アメリカ人女性のなかで、アフリカ系アメリカ人の家族問題を改善する策として家父長制に過度に傾倒することにたいして批判の声があがっている[hooks 1992、萩原 1997、cf. Girloy 2000、風呂本 2003、フックス2010(1981)]。
 本発表では、オリシャ崇拝運動にみられる宗教的疑似家族や、家族に関する価値観、性役割、性規範などを取り上げ、運動が紡ぐ縁がアフリカ系アメリカ人の家族問題、すなわち性の逸脱や男性の社会からの孤立化とどのように関わっているのかを考えたい。オリシャ崇拝の家族や性にまつわる特徴は、大きく分けて三つある。⑴性ではなく、司祭歴をもとにした階級制度と宗教的疑似家族の形成、⑵一夫多妻制とその解釈にみられる男女差、⑶性を受容する価値観(非-禁欲主義)である。これらの特徴によって、オリシャ崇拝運動の女性成員は従属的な地位に甘んじることなく、家父長的な社会運動そのものを変革しながら運動に従事している。これは結果として、男性成員に「男らしさ」を求め、それにもとづいて家父長的な家族を形成するという価値観や自由労働イデオロギーから男女双方の成員を限られた領域においてではあるが解放することにつながっているといえる。


男性同性間の性関係からパートナーシップへ
新ヶ江 章友
名古屋市立大学看護学部

本発表では、「ゲイ」ゆえに日本社会から孤立しているという考え方を前提とはしない。なぜなら、「ゲイ」同士の関係はときとして親密であり、このような関係は必ずしも彼らを孤立状況に追い込んだりはしないからである。しかし一方で、「ゲイ」の友達はいらない、男とセックスさえできればいいという考え方や行動をする「ゲイ」もいる。このような態度が、その「ゲイ」自身を孤立に追い込んでいるのではないかという論理で本発表は構成される。ここで着目したいのは、日本在住「ゲイ」の性的欲望と主体化の問題である。権力によって性的欲望がどのように煽られ、どのような「ゲイ」という主体が形成されているのか。なぜ「ゲイ」同士の友達関係は形成しにくいのか。性行為を伴わない「ゲイ」同士の友達関係の形成が、どのように権力への抵抗となりうるのかを吟味してみたい。
発表の構成としては、まずフーコーの権力と性的欲望に関する議論を主体化と統治性と関連付けながら整理し、権力への抵抗としての「友情」について言及した。ここから、日本の「ゲイ」男性の性的欲望が駆り立てられていく社会・文化的背景について、日本の「ゲイ・ビジネス」について紹介した。ここでいう「ゲイ・ビジネス」とは、具体的にはゲイバー、ゲイ向けDVD、「ハッテン場」、ゲイ雑誌、「ウリ専」などをさす。また近年では、インターネットの出会い系サイトやスマートフォンのアプリなど最先端の技術を駆使しながら、「ゲイ」同士の出会いの機会は著しく増加してきている。日本の「ゲイ・ビジネス」は、ライフスタイル提供型の西欧の「ゲイ・ビジネス」と比較すると性的なものに特化する傾向が顕著であり、性的欲望を満たすという点において不自由感はあまりないという日本在住「ゲイ」男性の語りを紹介した。このように高度に発達した「ゲイ・ビジネス」を背景としながら、日本の「ゲイ」同士の関係は性的関係に流れがちで、長期的な人間関係が築きにくい。つまり、友達と恋人の境界が曖昧になりがちで、体だけの関係で終始することも多い。しかし、権力によって駆り立てられる性的欲望に忠実に従うことは、必然的にHIV感染リスクを高めることにもなる。性的欲望を駆り立てる権力へと抵抗していく手段として、「ゲイ」同士の「友情」の問題―つまり、性的関係のみに終始しない人間関係の構築―が考えられる。日本において、ゲイ・アクティビズムをはじめとする「ゲイ」同士の連帯が困難な背景の一つとしては、この性的欲望を駆り立てる「ゲイ・ビジネス」の高度な発展があると考えられる。以上のような日本在住の「ゲイ」男性の人間関係の構築は、日本においてMSM間でのHIV感染が広がっている背景を知る上でも重要であり、また日本在住「ゲイ」男性の視点を通して、日本社会における性的欲望の配置のされ方、国家との関係、家族などのあり方を逆照射する「クィア」な視点からの分析も今後さらに必要となる。
 

DATE : 2012.06.23

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