Single 「シングル」と家族/縁(えにし)の人類学的研究

member/メンバー

Toru Konma

小馬 徹

所属 神奈川大学
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対象、テーマ キプシギス民族
フィールド ケニア、日本

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研究の指針
 
 近年爆発的な勢いで増え続けるシングル・マザーの存在が、強固な父系の伝統(後述)をもつ西南ケニアのキプシギス人の男性中心社会に対する巨大で歴史的な挑戦となり、今や民族が総体として経験しつつある急激な社会・文化的な変化を駆動する中核的な要因の一つとなっている。本研究では、シングル・マザーと家族や地域社会との相互作用の諸相を、具体的な諸事例に即して記述・分析して、グローバリゼーション下のケニア国家=国民建設の動きを背景とした、キプシギスの社会観、結婚観、家族観など、トータルな価値観の変化と、それに伴う人生観の変化を併せて考究して行きたい。
 キプシギスの伝統的な婚姻慣行は、従来、主に次の3点を前提として考えられてきた。①結婚は子供を確保するための制度であり、男女を問わず子供をもつことを誰もが強く望んでいる、②全ての女性が男性の援助と保護を必要としており、必ず結婚する、③絶えず女性人口が男性人口をかなり上回る―男性の戦死がこの傾向を大きく助長する。
 こうした通念が、一夫多妻制の基盤にあった。ただし、高齢の男性の複婚が若者たちの婚姻を阻む主因ではない。むしろ、若者たちの課題は、数頭の牛を贈る形での婚資の支払いの困難さの克服にあり、同じ条件が男性の結婚年齢を大きく押し上げていた。現在でも、貧しい農家の次男以下で定職のない者は、30歳前後になっても正式に結婚することは難しい。他方、恋愛の場でもあった若者たちの牛牧キャンプが(不道徳として)植民地時代に速やかに廃絶された結果、結婚の要件である女性の加入礼受礼年齢が大幅に低下した。これらの複合的な要因の他に、複婚を蔑視するキリスト教の浸透も加わって、その後実に多数の未婚のシングル・マザーが生み出され、確実に増え続けることになった。
 女性は加入礼直後に結婚して父親の父系氏族から夫の父系氏族へと移籍するものだという社会規範は、今も牢固として生き続けており、未婚のシングル・マザーには実際上身の置き所がない状況が生まれた。シングル・マザーのほとんどは、母親の小屋に同居し,母親が耕作を許されている1エーカー前後の狭い土地に全生活を依存する、最貧の暮らしを送っている。これは、従来夢想だにされなかった変則的な事態である。シングル・マザーとその子供(特に息子)たちが、彼女の父親の土地に居座って横領する者として疎まれ、熾烈な家庭不和の元凶と目されるようになって既に久しい。こうして、シングル・マザーの存在は、今や父系のキプシギス社会の存立を根底から揺るがすアポリアとなっているのである。
 しかしながら、シングル・マザーには、「近代化」の新たな担い手となり得る一大勢力という側面を見ることもできる。1963年末のケニア独立に先駆けて、キプシギス人は、ケニアという国民(ネーション)国家の中にカレンジンという新たな超部族的民族(ネーション)を対抗的に立ち上げる、持続的な運動を一貫して推し進めた。それは、同時に、激しい人口爆発と農地の急激な細分化・窮乏化と並行する社会過程と並行し、経済的には、共同体的な農民(peasant)から個人的な農業経営者(farmer)への移行過程にも重なり合っていた。この移行を現実に可能にするには、西欧的な勤勉や信用という新たな価値観の内面化が不可欠であり、ミッション・スクールが先鞭をつけた学校教育がそれに深く関与した。このfarmer化とも言える社会変動の過程で、女性の地位も大きく変化し、先に見たように、結婚できないがゆえに土地をもたない女性たちが確実に増加してきた。その反面、自身と子供たちの暮らしを日々是が非でも確保しなければならないシングル・マザーとその子供たちは革新的で、勤勉や信用という新たな社会的な価値観を迅速に内面化して急激な変化に速やかに適応し、新たなライフ・スタイルを切り開こうとする一般的な傾向を指摘できる。
 さらに、零細な観金的な園芸農業やインフォーマルな商業セクターへと大挙して進出したシングル・マザーたちは、土地なし・牛なしのゆえに「アウトカースト」視されてきた貧しい男性層とも組んで、田舎のマーケット(trading centre)運営の主導権を争う動きも見せ始めた。くわえて、2010年8月に漸く制定されたケニアの新憲法は、女性の相続権を初め、女性の地位の向上を強力に後押しする内実を備えている。その結果、キプシギスの父系社会は、慣習法の規定や社会システム全般を根底から見直して組み替える必要に今強く迫られているといえる。
 本研究では、このように複合的に関連し合うキプシギスの近代的な社会変動の諸相を、女性の地位と彼女たちの人生観の変化を焦点として考究して行きたい。また、他地域の経験に学び、比較を通じて、キプシギス社会の今日的変化の一般性と特殊性を明らかにしたい。
 

関連する業績

1981  "The Dwelling and Its Symbolism among the Kipsigis", in Nagashima Nobuhiro (ed.) Themes in Socio-Cultural  Ideas and Behaviour among the Six Ethnic Groups of Kenya, Tokyo: Hitotsubashi University, pp. 89-124.
1982   「キプシギス族における女性自助組合運動の展開」、『アフリカ研究』(日本アフリカ学会)27:1-19。
1984    "Women's Self-Help Association Movement among the Kipsigis of Kenya”, Senri Ethnological Studies 15: 148-186.
1987   「強姦をめぐる男女関係の種々相―ケニアのキプシギスの事例から」、『文化人類学』(アカデミア出版会)4:170-187。
1987  「結婚―若きアフリカニストへの忠告」、米山俊直(編)『アフリカ人間読本』(河出書房新社)70-72頁。
1987  「キプシギスの『火』のシンボリズム」、和田正平(編)『アフリカ―民族学的研究」(同朋舎)、3-68頁。
1996  「父系の逆説と『女の知恵』としての私的領域―キプシギスの『家財産制』と近代化」、和田正平(編)『アフリカ女性の民族誌』(明石書店)281-332頁。
2000  「キプシギスの女性自助組合運動と女性婚―文化人類学はいかに開発研究に資することができるのか」、青柳真智子
      (編)『開発と文化人類学』(古今書院)165-186頁。
2007  「タプタニがやって来る―女性同士の結婚の「夫」というやもめ」、椎野若菜(編)『やもめぐらし―寡婦の文化人類学』(明石書店)94-119頁。
2009  「キプシギスの成年式と学校教育」、中村和恵(編)『世界中のアフリカへ行こう』(岩波書店)40-59頁。
                                                                   
 

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