Single 「シングル」と家族/縁(えにし)の人類学的研究

2012年度第3回研究会(通算第10回目)

 日時:2012年12月21日(金)17:00-19:30,2012年12月22日(土)13:00-19:00
    場所:本郷サテライト8階(21日),4階(22日)
    12月21日

    深海菊絵(一橋大学大学院)
        「ひとりで,みんなで,『間』を生きる:南カリフォルニアにおけるポリアモリーの事例から」

    12月22日

    阪井裕一郎(慶應義塾大学)
        「独身批判と家族主義―戦前期における結婚読本の分析を中心に」(仮題)
    高橋絵里香(AA研共同研究員,国立民族学博物館)
        「職業としての家族―フィンランドの親族介護支援制度導入にみる地域福祉の再編過程」
 

<要旨>

「戦前日本における「独身」論の系譜」

阪井裕一郎

(慶應義塾大学ほか非常勤講師)

本研究は、戦前日本における「独身」を語る言説を分析し、近代日本の家族観・結婚観の諸相を照射する試みである。

 明治期に隆盛した「独身主義」をめぐる議論は、女子教育や職業婦人の台頭を背景としていた。この時期の独身論は主に、「独身批判」論と「独身=特権」論の二つに分類できる。前者の「独身批判」は主に女性に向けられたものであり、特に「良妻賢母主義」の称揚のなかで独身者には「オールドミス」、「片輪者」などのスティグマが科せられた。こうした批判は、明治20年代の「家庭」「ホーム」論の隆盛とも連動しており、女性独身者は秩序を脅かす存在と規定されるようになったのである。一方、後者の「特権論」は主に男性を対象に語られたもので、独身主義は芸術家や学者といった特殊な職業人の特権であるとする見解である。独身言説のジェンダー非対称が確認できる。

大正期に入ると、比較的自由で多様な独身論が展開されている。デモクラシーや女性運動、恋愛思想の広がりによって、結婚制度批判が一定の勢力を獲得する。「結婚は恋愛の墓場」といった主張においては、封建主義への抵抗として独身主義が賛美されることもあった。しかし、大正期も後半になると、第1次大戦や優生学・人口学の隆盛もあり、しだいに独身批判(そして晩婚批判)の傾向が強まる。

1930年代に入り国家総動員の戦時体制が確立すると、「結婚報国」思想が鼓舞され、独身の排除/弾圧はより強まった。独身批判の論理は、「道徳的」なものからしだいに「科学的」なものへと変化し、優生学・人口学的視座からの独身排斥論(結婚すべき人/すべきでない人の区別)や、医学・衛生学的視座からの独身批判(「不健康・不衛生は秩序に反する」)の高まりが確認された。

以上のような独身論の変遷と日本における「近代家族」の関連をより詳細に分析することが今後の課題となる。

 

「職業としての家族 ―フィンランドの親族介護支援制度導入 にみる地域福祉の再編過程」

髙橋絵里香

日本学術振興会

現代の福祉国家において、扶養という家族の機能は複数のアクターによって分有されている。こうした同じ機能を果たすアクターの存在は、家族という形態の特権性にどのような影響を及ぼすのだろうか。フィンランド南西部の自治体における家族介護支援制度導入の事例から検討する。そこから明らかになったのは、親族介護法が家族介護者を職業として扱う一方で、法律によって認定される介護者と認定されない介護者の線引きという新たな問題をもたらしているという事実である。また、ケアワーカーをめぐる労働市場の柔軟性は、介護福祉職全般/家族介護支援者/家族介護者という3者の間の差異を曖昧にし、理論上は専門性の違いを認めない。実際には、各職務の間に距離が意識されており、ケアの実践においても専門性の程度が強調されるため、そこに矛盾が派生している。こうした家族介護支援をめぐる状況は、家族はケアワーカーであるのか、フォーマルなケアとインフォーマルなケアの違いはどこにあるのか、といった問いを浮上させる。こうして、北欧型福祉国家の論理と家族という価値観がぶつかりあう場所において、家族の不定形さが可視化されることで、公/私の境界が問題化されていく過程が明らかになった。

DATE : 2013.03.04

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2012年度第2回研究会(通算第9回目)

2012年7月21日 14:30〜19:30    
東京外大本郷サテライト 3F   

「女性のシングル・ライフを否定する暴力について考える——性暴力から名誉殺人まで」
田中雅一(京都大学)

コメンテイター:成定洋子(東京学芸大学)                    

<田中発表の要旨>

「女性のシングル・ライフを否定する暴力について考える  性暴力から名誉殺人まで」

 女性への暴力Violence against Women(VAW)について、昔からさまざまなかたちで議論されてきた。本報告では、VAWについて、つぎのような問題意識から分析を加えたい。
1)分類と比較。一言でVAWと言っても、ヘイト・クライム(hate crime憎悪犯罪)として理解される傾向のあるレイプと特殊文化的な現象とされるインドのサティー(寡婦殉死)やアフリカのFGM(女子割礼)は性格が 異なる。レイプと違って後者のふたつは当事者にとって暴力とみなされていないからだ。男たちは憎しみや偏見から敵の女性をレイプすることはあっても、サ ティーを強要したり、FGMを行うということはない。しかし、植民地支配の状況で、あるいは国際的な批判のもと、これらは「暴力」となった。さらに、今日 注目されている名誉殺人や硫酸を女性の顔にかけるといった非人間的な行為は、ヘイト・クライムとも言えるが、それだけでは説明できない。このようにVAW の内実は多様と思われるが、にもかかわらず、女性のシングル・ライフという視点から考えるとき に、共通する意図を認めることも可能と思われる。
時間があれば、以下の2点についても考えてみたい。
2)暴力一般との関係。わたしは、1998年に公刊された『暴力の文化人類学』以来、宗教儀礼における「暴力」についての分析を進めてきたが、VAWをより広い暴力の文脈に位置づける必要があると考える。
3)言説の暴力。非西欧社会でのVAWは、西欧社会や国際社会からVAWとみなされてはじめてVAWとなり、問題化する傾向にある。この点についても考えてみたい。


"Violence against Women's Single Life: From Rape to Honour-based Violence"
TANAKA,Masakazu (Kyoto Univ.)

Commentator
NARISADA, Yoko (Tokyo Gakugei Univ.)
                       

DATE : 2013.03.04

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2012年度第1回研究会(通算第8回目)

2012年度第1回研究会(通算第8回目)
日時:2012年6月9日(土)13:30-19:00 場所:本郷サテライト5階
椎野若菜(AA研所員)
「「シングル」から世界をみる視座:人類学からの発信にむけて」
谷口陽子(AA研共同研究員,専修大学)
「現代日本における『つながり』と『孤であること』の意味の再考」
横田祥子(AA研共同研究員,日本学術振興会)
「台湾の国際結婚:代替可能な『縁』から家族へ」

 


<発表要旨>


「「シングル」から世界をみる視座:人類学からの発信にむけて」
椎野若菜
東京外国語大学AA研

プロジェクト3年目をむかえ、人類学からのシングル研究の成果をどうだすか、その方向性を意識しながら、英語圏人類学においてsingleはいつから、どのようにでてくるのかを概観した。
(1)GPマードックらのOutline of Cultural Materials(5th Revised Edition) Human Relations Area Files, INC.1982、(2) American anthropologistで概観してみた。
(1)のなかにはSingleという項目はなく、類語であるBachelorもなかった。Celibacyという項目、またWidow/Widowerは存在した。
 (2)においては半世紀(1971~2012)を概観すると、Singleが結婚していない人(未婚、非婚)、あるいは単独者としての意ではでてこなかった。この期間(1971~2012)の主な流れは、‘70~’90初は親族研究系の論考が多く、その文脈のなかでの親族名称による男性と女性、とりわけ「女性の地位」を論文タイトルに冠したものがときおりみられた。その際も「女性」はひとくくりで扱われ、性別分業、女性の地位、性別役割、ジェンダーの平等性に関する議論に関するものであった。「男性」を扱うものはほとんどなく1件あったのみで、独身である、結婚している/していないといった人は扱われてこなかった。夫を亡くした女性(寡婦)についてもわずかであった。寡夫は皆無かと思われる。シングルと関連する「ゲイ・レズビアン」が論文タイトルに初めてでてくるのは1995年だった。
そのほかの雑誌にみるSingle、についてもよりくわしくおっていく必要があるが、ひとつの、ひとりの、という文字通りの意味でSingle society, Single Gender…と使用されてきた傾向がつづき、いわゆる「シングル」の意がみえるのは、「シングル・マザー」という語である。American Sociological Review, 1997、Practicing Anthropology 22-1 :2000、とごく最近であることが改めて明らかになった。
以上、用語としての「シングル」の位置づけを考える一方で、これまでの研究会(一期目の「シングル」と社会、二期目の「シングル」と家族)で議論してきた「シングル」を総まとめとしてあらわすときの方針としては、「シングル」を定義化することを目的にはせず、人類学ならではの視点を多角的に示していくことにしたい。「シングル」の身体性、シングルに関する言説、表象、を考慮しながら、主体性だけにとらわれず、構造との関係、関係性のなかにおいて、と「シングル」にまつわる問題系の多様性を提示していきたい。「シングル」に注目することでなにがみえるのか、その広がりをみせる。一期目の成果としては、社会の全体性はどう確保されるか、単独者をはじめとする個<孤>から社会全体を展望してきたい。二期目の成果としては、家族との対比、あるいは家族との関係性のなかで如実に現れ、シングルという問題自体が社会の「家族」の構造を逆照射していることが多いと考えられるところに注目し、「縁」という日本語を軸にシングルをとりまく関係性を考える。縁の一部に親族関係を位置づけることによって、他の社会関係や実践との関係の中で、その特徴をあらわにしていく。


「現代日本における『つながり』と『孤であること』の意味の再考」
谷口陽子
放送大学(非)

本共同研究会における私の課題は、被災の経験が個々の人の取り結ぶ人間関係のあり様や認識にいかなる影響を与え、変化させるのかについて、日本をフィールドとして研究することである。本報告では、私が実施している中越地震の被災地における聞き取りの分析から、人々が語る住み慣れた土地への愛着に焦点を当てて論じた。


台湾の国際結婚:代替可能な縁から家族へ
横田祥子
日本学術振興会/東京外国語大学

婚姻仲介業者の斡旋による国際結婚は、経済的格差を背景に成立し、料金を支払う顧客男性に有利な仕組みとなっている。女性配偶者の選択権は、ほぼ男性が掌握しており、仲介業者と顧客男性と女性の関係性は、あたかも女性身体の商品化、結婚の商品化のようである。台湾人男性と中国、東南アジア系女性との仲介業者斡旋による国際結婚は、再生産労働の国際分業化ストリームと軌を一つにしながら、経済的に自立しシングルを謳歌する台湾人女性の裏で、男子継承者を残し家族の再生産を果たすという伝統的家族観の実現を課されたシングル台湾人男性のオルタナティブとして、30年にわたり継続してきた。本発表では、国際結婚家族の具体事例に基づき、国際結婚家族のトランスナショナルな家族形成と婚姻仲介システムを説明した上で、国際結婚の夫婦が結婚時には代替可能であった縁から、いかにして代替不可能な縁で結ばれた家族への脱却を図ったのか、その戦略について具体的な考察を行った。
 

DATE : 2013.03.04

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